あのスキーは
どこへいった?

西沢書店の150年
——スキー業界への進出、そして撤退——
株式会社西沢書店 代表取締役社長 西澤保佑

 当社は松葉軒として安政年間に創業し、明治41年(1908)から西澤書店を名のっています。明治後期までに長野県を中心に13本支店を構える大型書店でありました。教科書を核に書籍・雑誌から文具・運道具・楽器類の販売まで手掛けていました。
 日本のスキーの歴史は、明治44年、レルヒ少佐により新潟高田連隊にスキーが伝えられたのが最初といわれています。
 西澤書店は大正年間に信濃学用品会社を設立し、学校教材(机、いす、黒板、楽器など)を自家工場で製造しておりましたが、長野県庁より雪国・長野の主要産業としてスキー開発の要請があり、昭和4年(1929)信濃学用品会社で西沢スキーの製造を開始しました。「美満津運道具品」「ヤマハ楽器」も西澤書店が取扱代理店となりました。
 翌昭和5年、ハンネス・シュナイダーが来日し、野沢温泉でスキー指導を受けます。そのころ当社には西村一良(プロスキーヤー)片桐匡(野沢温泉)により競技用スキーの開発も手掛けています。レルヒ少佐以来、オーストリアと日本のスキーの繋がりは特別深いものとなっていました。
 昭和30年代から大衆スポーツとなったスキーは人口も生産も飛躍的に増えました。そして、東京・札幌のオリンピックで世界のトップアスリート(競技選手)のレベルを実感しました。日本製品も国際市場で欧米スキーメーカーと互角に戦いました。当時のスキーヤー人口は1000万人といわれていました。
 年号が平成(1989)になって、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件、そして数々の経済変動が起きます。バブル経済と急激な円高はその代表で、日本の製造業の競争力は著しく低下しました。スキーも同様です。西沢スキーも撤退を余儀なくされました。いまやパソコン、スマートフォンが生活の中心となりました。少子化高齢化により生涯健康スポーツの時代に変っていきます。いつの時代も人々は変化のなかで生きているのです。

 

1) 西沢書店/西沢スキーの沿革

松葉軒/書籍業兼出版業 1850年(江戸時代末期)

松葉軒家迺記 茂範(十代西澤喜太郎茂雄) 
嘉永三庚戍寿年(1850)

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西澤書店/長野・新潟・福島・栃木に13店舗 1900年(明治中期〜昭和18年)

明治42年、西澤書店
福島支店開店広告。

 

大正15年、
長野県長野市の本店。

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長野県・新潟県の学校教育(冬期の体育科目)

「長野県教育事蹟」
第1班第2輯の表紙。

飯山尋常高等小学校で、明治40年に小冊子にまとめて教材とした「雪中遊戯法」の原本。

昭和3年2月、高田市において開催された第1回明治神宮スキー大会に出場した飯山高等女学校の選手。

 
軍需品としてのスキー板(10万台レベル)
1930年 ハンネス・シュナイダー来日 
    野沢スキー場で指導
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雪国(北海道・東北・上信越)競技スキー
都会(東京・大阪・名古屋)スキー指導員
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西澤書店緑町工場(通称:西沢スキー)
昭和10年〜19年(戦時下製造中断)

シュテムターン、ジャンピングターンの
生みの親でもあるシュナイダー

 

2) 日本のスキー伝来と普及

スキーの伝来 1911年(明治44年) オーストリア人・レルヒ少佐

高田におけるレルヒ少佐のスキー姿
『スキー発祥思い出アルバム』より。

 

長岡外史中将(『坂の上の雲』に登場) 北方陸軍の軍備品・スキー部隊

高田第13師団長時代の長岡外史(『スキー発祥思い出アルバム』より)。

レルヒ少佐指導の民間スキー講習会(明治45年1月21日)。左に立つのは訓辞する長岡外史師団長。その前がレルヒ少佐。写真右側に2名の女性が見える。洋装姿が長岡師団長令嬢(『スキー発祥思い出アルバム』より)。

 

飯山中学校のスキー訓練。城山にて。後方は中学校校舎。1本杖と両杖の姿が見えるので、大正中期の頃か。

明治45年の越信スキー倶楽部会員章
(小賀坂スキー所蔵)。

 

我が国最初のスキー雑誌『スキー』第1号の表紙(明治45年2月10日、越信スキー倶楽部発行『スキー発祥思い出アルバム』より)。

 

スキー競技会の開催(新潟県高田市)
全日本スキー連盟発足 1923年

大正12年、北海道小樽市の第1回全日本選手権に出場した飯山中学校チーム。

 

第1回全日本スキー連盟総会出席者。前列左端が藤沢璋三、大正14年(『スキー年鑑』第1号より)。

大正時代の飯山中学校生徒のジャンプ。

 

スキー練習団体募集の新聞広告(昭和3年1月14日付『信濃毎日新聞』)。

盛況のスキー練習団体。長野方面から大挙参加する(昭和5年1月27日付『信濃毎日新聞』)。

 

 

お巡査さん、管内巡回をスキーで。飯山警察署のスキー講習(昭和9年2月1日付『信濃毎日新聞』)。

郵便局員のスキー講習会参加者。昭和12年2月、菅平にて。

 

3) 大衆スポーツとしてのスキー(終戦後の高度経済成長)

1947年・西沢スキー工場が再開する
西村一良(プロスキーヤー) 皇室・上流社会にスキーを教える/赤倉スキー場
片桐 匡(長野県スキー連盟・野沢温泉)・
馬場忠三郎(プロスキーヤー・菅平)

スキー開発のプロでもあった
西村一良氏(昭和10年頃)。

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最初のブーム
1956年・コルチナダンペッツィオ・オリンピック
トニー・ザイラー(金メダル・三冠王)、猪谷千春(銀メダル)

トニー・ザイラー氏。

猪谷千春氏。

 

北原三枝さんがモデルの
1950年代の広告。

コルティナ・オリンピック日本代表、 杉山進氏が登場した広告。

雪壁を飛ぶ杉山進氏。

 

2番目のブーム
1968年・グルノーブルオリンピック
ジャンクロード・キリー(仏)vs
カールシュランツ(墺)

 

ジャンクロード・キリー氏。

丸山仁也氏(西沢スキーの
専属選手だった)。

札幌オリンピック、
富井澄博氏のダウンヒル。

   
1972年・札幌オリンピック
日の丸飛行隊・金銀銅独占
笠谷幸雄(金メダル)
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3番目のブーム
1987年・映画「私をスキーに連れてって」
競技スキーから基礎スキーに発展(デモンストレーター)

デモンストレーター、渡辺一樹氏。

デモンストレーター、佐藤譲氏。


1998年・長野オリンピック開催
舟木・原田・岡部(ジャンプ団体金メダル)

ヨーロッパ諸国では上流社会・金持ちのスポーツ・レジャー(スキーと登山)
日本では大衆スポーツ・お稽古ごと

 

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資料提供: (財)長野県スキー連盟、飯山市、西沢商事(株)